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初めてジブリのアニメソフト買いました。紅の豚です

実は映画館で見てそれからテレビの放送見たか見てないかの記憶もないし

今から20年前の思いでの記憶です過去に、紅の豚見た好きて周りの同僚に
言っても他の宮崎作品の話題されるし、まあ僕の文章からして
映画の僕の感じ方が会話にならない思い込みが激しいのでね
宮崎監督が哲学的になっていき、昔の紅の豚みたいな趣味に
はしったような、作風がなくなって行き、いつまでも過去の作風が
好きだったて、宮崎監督ていうよりジブリの映画も見に行かなくってね
じゃなぜ紅の豚に思い出したかガルパンの音楽ソフトの世界観が
紅の豚を思い出させてくれたからだ、戦う兵器の喜劇て感じの音楽の
雰囲気が運動会の音楽のマーチ曲ぽくていいですね

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「私の50年間に、私たちの国は一度も戦争をしませんでした。戦争で儲けたりはしましたけれど、でも戦争をしなかった。そのお陰が、ぼくらの仕事にとっては、とても力になったと思います。」 筆者は、この「戦争で儲けたりもしましたけれど」には、また揚げ足を取られるのではないかとヒヤリとしました。しかし、メディアも読み手も深く考えなかったおかげ? でしょうか、特に騒がれることもなかったようです。 宮崎駿監督の父は戦時中に「宮崎航空興学」という軍需産業の工場長をしていました。「戦争を嫌いながらも、軍需産業のおかげで育った自分」という矛盾と負い目を正直に表している印象的なスピーチでした。どうぞこの矛盾も批判してくださって結構、「作品で判断してください」という宮崎監督の一貫性と懐の深さが伺えるようです。

しかし、スタジオジブリは現在、スタッフの雇用方法を変え必要があるほどの赤字体質であると言われています。何故なら宮崎監督は、20代の頃に東映動画で労働組合で書記長まで務めた人です。儲けよりもアニメーターの労働条件を優先して守りたい、という考えが根底にあります。ジブリ作品は世界中で売れていても、決して大儲けにはなっていないようです。興行収益は全て固定費と次回製作費に使ってしまい、常に経営不振であると言います。

そんな赤字を打開するために、世界でなく、ハッキリ言えば「アメリカ」で売らざるをえなかった。宮崎監督は「反アメリカ、反ハンバーガー、ディズニーはアメリカに帰れ」とマンガエッセイに書くほどのアメリカ嫌いです。それでも、全米に配給していくためにディズニーとの提携を受け入れました。

その背景にあるのは、販路の拡大がスタジオジブリを維持するためには、どうしても必要だったからです。結果的に「世界のミヤザキ・ハヤオ」としてアニメ・映画というジャンルを超えてファンを増やしていったわけです。その結果、日本アニメ・日本映画・日本映像作品へ世界が注目する道の開拓へも大きな影響を残しました。

今回の宮崎監督のアカデミー受賞名誉賞のスピーチは本当に秀逸で奥が深いので、ぜひ全文を読んでほしい。特に筆者の琴線に触れたのは、 宮崎監督が初めて吐露した「本音」の部分です。

「いちばんよく知ってるのは自分です。あそこがダメだったとか、あそこは失敗したとか、誰も気が付かないけど、あそこは傷だとかね。そういうものを山ほど抱えて、映画って終わるんですよ。だから、お客さんが喜んでくれたって言っても、その客は、ほんとうのことを分かってない客だろうとかね。」

これこそ、あらゆる創り手の「本音」だと思います。その苦悩や葛藤は創り手である「監督だけのもの」なので、観客が理解できないのも判っているのです。

名誉賞受賞という事実だけを見ても、黒澤明監督と並び映画史にその名前が残ります。しかしながら、宮崎監督が本当の意味で「世に理解される」のは10年後くらいかな・・・と、筆者は思っています。

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